★なぜ?「東洋のマチュピチュ」に観光客続々 江戸時代以降、多くの銅を産出した愛媛県新居浜市の別子銅山跡地が観光客の人気を集めている。 鉱石を保管する貯蔵庫などが残され、かつての繁栄ぶりを今に伝える。 標高約750メートルの山中に突然現れる産業遺産の景観から、 ペルーの遺跡になぞらえ「東洋のマチュピチュ」と評判だ。 1691年から1973年の閉山までに約65万トンの銅を産出した別子銅山。 新居浜市が管理運営を委託した第三セクター「マイントピア別子」の観光施設から、 対向車とすれ違うのも難しい細い山道を30分ほど進むと約100年前の 花こう岩や赤れんが造りの施設群が現れる。 一帯には、保安本部が置かれた建物や掘削用のダイナマイトを保管した火薬庫など 10前後の施設が点在しており、緑の山の間からは遠方に瀬戸内海を望める。 島根県の石見銀山が世界遺産に登録されるなど、最近は産業遺産が観光地としても注目される。 マイントピア別子とJTB西日本(大阪市)などが協力、「天空の歴史遺産」とうたって 7月にツアーを始めた。複数の旅行会社も加わり、ツアー参加者は11月までに5000人に上った。 自家用車で訪れる人も多い。 先月中旬。肌寒い平日にもかかわらず、現地には多くの観光客が訪れていた。 ツアーに参加した大阪市の無職男性(74)は「先人の偉業を肌で感じる」としみじみと施設を見つめていた。 スポニチ ▽関連リンク ・旧別子銅山跡
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